月島から豊洲へ歩く




1月は元気に撮り歩きをしていたが、2月になって腰痛を発症し、またも沈没した。またもというのは、昨年の2月も風邪で熱を出し、おまけに腰痛もぶり返して1か月間何もできなかった。
今回は2月5日頃から痛みが出て、以前処方されたセレコックスという消炎鎮痛剤が残っていたのでそれを服用し、2月15日になってようやく病院へ行った。レントゲンを撮ったが、前回の医師はもうおらず別の医師だったが、おととしの診察の際に、原因は背骨が曲がっていることで、それが神経を圧迫して炎症を起こしたと言われたのだが、今回は背骨は曲がっていないと言うのだ。結局原因ははっきりせず、心配ならMRI撮りますか?と言われ、23日にまた病院へ行くことになった。
一方、症状の方は、ずっと薬を飲んでいたせいか、ほとんど痛みは無くなったがいくらか違和感が残る程度で、日常生活にはほとんど問題は無くなった。
そうこうするうちに2月も半ばを過ぎ、最高気温も10度を上回るようになった18日に、久しぶりに撮り歩きをしたくなり、無理のないよう都内のベイエリアで、近くは歩いていたがスルーをしていたルートで、月島から豊洲までを歩いていろいろ撮ってみた。行きは御徒町乗り換え勝どきで降り、帰りは豊洲から池袋乗り換えで2時すぎに帰宅した。
これから徐々に暖かくなってくるので、季節の花も含めて写真撮影のオンシーズンになってくるので、どうにか体調を戻してあちこち撮り歩きたいと思う。


 

都営大江戸線勝どき駅から地上に出ると、近代的高層ビルが乱立している。
前回来たのはもう11年も前で、まだニコン機の頃であった。


 
晴海通りと清澄通りの交差点には、ひときわ高い勝どきビュータワーが聳えている。



勝鬨橋は、隅田川の最下流に架かる橋だが、少し下流に環状2号線の橋が出来たので二番目になるかも。
日本で現存する数少ない可動橋だが、もはや橋が跳ね上がることは無い。



川沿いに歩き、月島川水門を眺めながらもんじゃストリートに入る。



通称もんじゃストリートの月島西仲通り商店街は、一番街から四番街まで区切られている。



商店街と交差する路地は相変わらず雑然としている。



商店街のちょうど真ん中の場所に鎮座する交番。歩道と道路に跨っているので幅が激狭。



弐番街東側は再開発工事中で、このブロックにあった古い家はすべてなくなることになる。



メロンパンを中心にしたスイーツの店。種類は多くなくてもけっこう売れるものなのか。



もんじゃ焼きの店の二階壁面。酒を飲みながらもんじゃを食うイメージが湧かない。



再び隅田川に出て11年前にも撮った聖路加タワーを撮る。画質の差は歴然である。
会社員の頃、関連会社のトップとよく屋上レストランで食事をした想い出の場所だ。



隅田川沿いを少し上流側に歩くと佃橋がある。この先が佃煮の語源になった佃地区である。


 

隅田川対岸にある水門の後方は八丁堀のエリアだ。



佃まちかど展示館には神輿が納められている。



佃地区には異質な感じのオシャレなカフェバーがあった。


 
住吉神社の鳥居だが、狭くて建てる場所が無くて川べりになったようだ。横だと左右がごちゃついてしまう。



で、路地を入っていくと、住吉神社があった。住宅に囲まれたコンパクトな神社だ。



佃公園の手前には住吉水門があるが、現在水をストップして川の工事中である。



隅田川に向かって帽子を掲げた少女像があった。



佃公園からは以前渡った中央大橋が見えるが、今回はここで引き返す。


 
佃公園に来ている子供たちが石垣を登ろうとしている。建物の下はトイレである。



佃地区の原風景。何と、井戸があった。汲みあげられるかどうかは不明。



花びらがちょっとしょぼい民家の梅の花。梅が咲くと春はもうすぐだ。



佃小橋と銭湯のあるマンション。後方は旧石川島播磨重工跡地のタワーマンション。
実は、この銭湯のあるマンションは、清澄白河で小料理店を経営している友人Fの自宅なのである。



店先にいろいろぶら下がっているが、うまい酒が飲める定食屋ということか。



晴海側に渡る朝潮大橋からは、スカイツリーと以前渡った越中島に至る相生橋が見えた。
右手に見える帆船は、東京海上大学の明治丸である。



朝潮大橋からは豊洲運河の佃水門が見える。もうここは川ではなく海なのだ。



朝潮大橋から豊洲に抜ける春海橋の南側に、線路の敷かれた鉄橋があった。しかし、両岸に線路は無い。
これは一体何なのかは最後に説明しようと思う。



鉄橋をくぐった遊覧船。豊洲運河のルートを通る遊覧船もあることが分かる。



豊洲側からの晴海大橋と首都高晴海線、そしてさらに奥には環状2号線の橋も見えた。



運河沿いに歩いてきたら、豊洲船着場の入口に可動橋のあるのが分かった。



残念ながらこの可動橋、少なくとも平日に降りることは無いようだ。


 春海橋の南側に線路の敷かれたまま残された鉄橋は、かつて東京都港湾局専用線の鉄道橋だったのだが、1989年に廃止され、横浜みなとみらい地区の汽車道のようになるはずだったのに、晴海側の再開発の遅れと予想以上の橋梁の老朽化のため実現せず、現在のように放置されたままになっているのだそうだ。
実は、この橋はグーグルマップを見ていて偶然見付けたものである。地図上の施設名をさらにググってみたら、都会には珍しい放置廃線遺構で、さらにストリートビューで確認すると、なかなか面白い被写体だと思って今回の撮り歩きのコースに組み込んでみた次第である。