史跡探訪ドライブ




今年は異常な猛暑が続きあまり外出もできず、このまま9月に突入してブタクサ花粉症になって、10月までまたどこにも出かけられないのでは気が狂いそうだと思い、何とかブタクサ花粉症から逃れるべく、8月20日に6年ぶりの耳鼻科を受診することとなった。
実は、6年前はスギ花粉症の治療ではあったのだが、それなりの効果があって40年来のスギ花粉症が翌年からほとんど出なくなった耳鼻科で、ここの治療法と医師からの薬の指示は素晴らしく的確であると思っていた。
にもかかわらず、その後行かなかったのは、両親の介護で忙しかったこともあるが、とにかく混んでいて待ち時間が長いからなのであった。また、以前は電話予約のみであったが、この応答がすこぶる悪くて繋がらないことも多く、予約を取るのに一苦労だったのも、通院を怠った要因でもある。但し、今回はWEBでの予約が導入され、この問題は改善された。とは言え、15分刻みの予約に10人の割合で受け付けているので、一人当たり1分半では絶対に遅れないはずが無い。毎回1時間待ちではあるが、これまで3回受診し、内服2種類、貼り薬1種類、吸入1種類の薬を続けていたら、9月に入ってもブタクサ花粉症の症状は現れず、10数年ぶりに快適(?)な9月を過ごしている。


そんな状況で、いつもの友人O君との蕎麦食い物見遊山を計画していたが、天気がいまいちで9月12日も一旦中止にしたものの、O君から「渋沢平九郎が深谷から足利へ抜けた足跡をたどりたい」という提案があり、私の方は昨年末に渋沢栄一の生家を見逃していたので、双方の目的が一致はしないものの、結局気分転換になれば良しとして出かけてみた次第である。


ルートは、17号で深谷へ行き、渋沢栄一生家を出発点として、その後世良田(旧尾島町、現太田市)の歴史公園を訪れ、新田荘歴史資料館や世良田東照宮、長楽寺などを見学。何でも新田一族は、徳川家康の先祖に当たるのだとか。
例幣使街道の旧木崎宿で昼食をとり、旧新田町の生品神社を訪れた。ここは、鎌倉時代に新田義貞が討幕のために挙兵した場所であるとのことだ。で、その後、足利市の梁田公民館に着いたが、ここは1868年3月に薩長対幕府軍が対決した梁田戦争の舞台なのであった。


結局O君の目的である渋沢平九郎の足跡は、木崎宿の石柱程度で、他の物証は何も無かったが、鎌倉後期から室町にかけての新田一族の歴史と、関東北部での戊辰戦争の爪痕を学習することができた。
時間の余裕があったので、葛生から出流に抜ける山道から石灰採掘場を俯瞰する写真を撮りに向かったが、道を間違えてしまいあえなく断念となった。


 

渋沢栄一生家の正門。この屋敷は通称「中の家(なかんち)」と呼ばれている。



正門の右隣に建つ副屋。藍玉という染料の取引用店舗として使われたこともあるそうだ。



屋敷の隣に建つ青淵亭。元々は屋敷の一部だったのを移築したらしい。会席料理の店だ。


 

屋敷を囲む蔵の前には、一つだけ秋薔薇が咲いていた。



こちらも屋敷の外側から見た蔵。窓がなかなかお洒落である。



上の画像を屋敷内から眺めたところ。広い敷地には土蔵がいくつも建っている。



屋敷の裏手にも2棟の土蔵が建っている。1階が奥座敷、2階を宝蔵に使ったらしい。



主屋の正面からの全体像。左には鯉のいる池がある。


 
主屋玄関を入った右手奥にあった書棚(?)。派手な装飾はちょっと場違いに思えるが、豪農の証しか。



玄関入ってすぐの場所に、渋沢一族の資料が並んでいる。


 
中庭にまだ武士であった栄一の若い時の銅像があった。



世良田歴史公園駐車場のすぐそばに大光庵茶会所があったが、閉まっていては入れなかった。



立派な建物は新田荘歴史資料館。新田義貞の銅像が建っている。



世良田東照宮。日光や上野の東照宮ほど派手ではなく、ごくふつうの拝殿である。



上番所の前には記念撮影用のセットがあったが、あまり観光客の来る場所とは思えない。



世良田東照宮山門からの様子。屋根が傾いているが、画像はこれで正常だ。



長楽寺太鼓門は県の重文。敷地が広い寺なので建物があちこちに分散している。


 
長楽寺三仏堂も県の重文。道路を挟んだ場所に建っている。



長楽寺開山堂。近くから見ようとしたが、藪蚊の大群に襲われてここで引き返した。



山門から見た長楽寺本堂。開山は古く鎌倉時代で、東国初の禅寺だが本堂はまだ新しかった。



東照宮近くでしぶとく咲いているサルスベリ。今回は色彩の乏しい画像が多いので入れてみた。



ここから新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼすべく出陣をした。


 
生品神社内に新田義貞の銅像の一部だけしかないのを見付けた。たぶん、石像なら大丈夫だっただろうに。



東照宮よりもはるかに地味で質素な拝殿。田舎の神社はこれが普通であろう。


 
梁田戦争時に鉄砲の弾がめりこんだ松があった。めりこんだ場所はきれいに修復されていた。



足利市内を走行中、土手沿いにヒガンバナが群生していたので、思わず車を停めて撮ってみた。



帰り道、栃木の大中寺に寄ってみた。何も無いけど静かで気持ちの休まる場所だ。


 蕎麦屋の画像もアップしようかと思ったが、こちらはO君の担当なのであえてアップはしなかった。
O君の目的だった渋沢平九郎については、戊辰研マガジンというサイトで飯能戦争と平九郎自刃について本人が書いているので、興味のある人はご覧いただきたい。