蔵の街栃木を歩く




2016年最初の街歩きは、昨年と同じ日の1月5日、同行者も同じく友人のO君である。
栃木市は私の生まれた小山市の隣の市で、高校3年間はこの街に通った。最近はよく行っていて、ホームページにもしばしば写真をアップしているつもりでいたが、この街をタイトルにしたのは2008年6月のアジサイと蔵の街栃木
 と、2014年4月の春の栃木市内散策くらいで、いずれも街中は巴波川と蔵のある幸来橋近辺だけであった。
2015年4月の桜の時期の錦着山付近の画像もアップしたが、美味い蕎麦屋が山の中にあることが多いこともあって、ついでの散策は太平山や近辺の山手を散策することが多かった。


今回は、昼食の蕎麦屋を昨年4月に別メンバーで訪れた街中のくろみやに決め、市街地のみをテクテク歩いて写真を撮るという計画である。
駐車場は、栃木駅からほど近いうずま公園の南側にあるタイムズだが、1時間200円でかつ1日最大200円という、首都圏では絶対ありえないような格安パーキングに停めた。同じ蔵の街である川越あたりは1日最大600円が相場で、横浜ベイエリアで800円程度、鎌倉だと1000円が駅等のアクセスがある場所の下限だから、観光地といっても栃木の素朴さが分かる。

栃木市街の観光ルートは、南にJRと東武の栃木駅があり、そこを起点に南北に蔵の街大通りが伸び、西側に大通りに並行するように清流巴波川(うずまがわ)が流れる。大通りと巴波川の周辺に古い蔵作りの建物等が点在していて、北のはずれのエリアから東に歩くと東武新栃木駅に至る。
我々は、途中あちこち寄り道はしたが、ほぼ市街地を南北に往復したことになる。何度も訪れているし、高校3年間にも通った街だが、改めて歩いてみると今まで一度も見たことがなかった建物等が随分多いのには驚いた。


一方、昼食の蕎麦であるが、いずれO君がHPで感想と評価を論じてくれると思うので、そちらを待つことにしよう。



カトリック教会。素朴な建物だが、それなりの存在感のある建物だ。


 

幸来橋手前の巴波川。このあたりは毎回撮っているから構図も考えねばならない。



巴波川べりの建物の階段の錆に感動。(^-^;


 

こちらは巴波川に面した民家。洗濯物がいっぱい干してあって生活感がある。


 

巴波川を離れ、大通りを東に突っ切って神明宮の隣の公園。真ん中に虹が出ている。


 
地元の人に親しまれている神明宮には今日もお参りに来た人がいた。



公園側から神明宮拝殿の屋根を眺めてみた。栃木にこんな立派な神社があることは知らなかった。



こちらは拝殿の後方にある本殿だが中には入れないようだ。


 

昼食後大通りに出る手前には、たぶん銭湯だったと思われる崩壊寸前の建物の連なりがあった。



近龍寺墓地には作家山本有三の墓がある。代表作「路傍の石」は栃木県人はみなご存知だろう。



さる蔵造りの建物の2階だが、ステンドグラスのようなどう見ても蔵の窓には見えない窓だ。



大通りから少し入った路地のスナックの2階には何やら女性もの(?)の洗濯物が見える。



好古壱番館という洋風建築の建物だが、中は手打ち蕎麦の店でB級グルメの栃木焼きそばも食べられる。
栃木焼きそばとは、じゃがいもが入っているソース焼きそばだが、私は食べたことがない。



好古壱番館脇の休憩エリア。背後の壁が全部板張りなのが栃木らしい雰囲気。


 
 
大通りに面した元不動産屋の入口がまたも崩壊状態。2011年の震災の被害かも。



元は提灯店だった建物が、今はうたまろ館として使われている。正面は江戸時代の栃木の街だ。



この感じ、どう見てもデパートのようなフロアとエスカレーターだ。だが、ここは栃木市役所なのだ。



市役所のフロアに飾られていた喜多川歌麿の「深川の雪」。雪・月・花のひとつである。
もちろん複製画だが、本物は箱根の岡田美術館にあり、他の二つはアメリカとフランスにあるようだ。



こちらはフレスコ画の一部。詳細は不明。



市役所4階のフロアから下を見たら、なんとロンドンバスが駐車していた!!
ただ、よく見たら内部が店舗になっているようである。街を走らせたら面白いと思うが。



これが市役所の入口で、1階は東武百貨店やテナントショップが入っている。
以前ここは、福田屋百貨店が長く営業していたが、撤退してしまって2階から4階まで市役所になったのだ。
日本広しと言えども、デパート跡に役所が入った例は無いんではなかろうか。


 

不動産屋の裏手だが、トロッコで物を運ぶための鉄路が残っていた。
かつてNHKの連ドラ「つばさ」で、ヒロインの家業の和菓子屋でこんな様子を見た記憶が残っている。


 

旧例幣使街道に入ると、2階に踊り場のようなスペースのある建物を発見。何かの商店らしい。



旧例幣使街道沿いは嘉右衛門町という町名で、ご覧のような年季の入った建物があちこちに残っている。



ここは豪商岡田家の別邸で「翁島」という名称である。中は有料なので外見だけを拝む。


 

肥料屋の板壁には、いかにもそれらしいホーロー看板が残る。



この長い板壁は油伝味噌という会社の裏手の路地から見たもので、表からではとてもこんな風には見えない。


 

こちらは観光地図には載ってなかったヤマサ味噌の工場。煙突を見て分かったのだ。
嘉右衛門町は中心部からは離れるが、昔ながらの栃木の雰囲気があるエリアだ。



帰り道に見た向島八幡宮という神社は社殿も無く、隣接の家は完全崩壊状態で、神社運営の厳しさを感じた。



この洋風建築は、我が母校栃木高校の記念図書館である。在学中一度も入ったことが無いが。(^-^;



ここは旧栃木市役所別館だった洋風の建物で、それ以前に栃木県の県庁が栃木市だった時代の
県庁の跡地に旧栃木町役場として大正10年に造られた。はるか昔の建物だが、良く残ったなと思う。
 


 
巴波川に沿って南下すると、横山郷土館がある。ここは明治時代に麻問屋と銀行を営んでいた豪商の屋敷だ。
何があるのか分からないが、中は有料なので入らなかった。



最後に立ち寄った郷土参考館の内部。売薬の看板がずらりと並んでいる。
一番右は「首より上の薬」といい、簡単に言えば便秘薬なのである。福地というメーカーも現存する。



郷土参考館はかつて質屋だった建物で、ここは蔵の内部である。天井の梁は松で長さ八間(14.4m)もある。
質屋というのは入口は質素な造りだが、奥にはこんな蔵を構えるほど儲けていたことが良く分かる。


 郷土参考館を出ると時刻は14時半になり、大まかではあるが栃木の街を一回りすることができた。

廃藩置県後の栃木市は1884年(明治17年)まで県庁が置かれたが、栃木県の南西に外れていたせいかどうか分からないが、県央の宇都宮市に県庁が移って現在に至っている。JR線も栃木県内は小山と宇都宮が要衝となり、栃木にはローカル線の両毛線と東武線しか通らなかった。近年の発展からは遠ざかった街ではあるが、古い時代に栄えた史跡が戦争で破壊されることなく残ったことが、現在の観光による街興しに貢献してくれたのであろう。
観光客の数からすると、よく似た川越の方が多いと思うが、これはただ川越の方が都会からのアクセスが早いというだけで、見て歩く価値のあるエリアは川越をはるかに凌ぐと思う。


東京方面に住んでいて、蕎麦が好物という方は、是非栃木の街を歩いてみていただきたい。さらに、酒好きな方ならば、隣の小山市の銘酒「鳳凰美田」という吟醸酒を種類多く扱っている酒店もあるので、お土産に買っていかれるといいと思う。一升瓶で3000円程度のものが手頃でよいらしい。飲んべのO君は自分のご褒美に一本購入して、自宅で感動のうれし涙を流しながらいただいたそうである。